浦和地方裁判所 昭和61年(ワ)800号 判決 1993年1月27日
原告
西田チエ
同
阿部壽子
同
山田嘉子
同
山内慶子
同
山本幸子
同
橋村洋子
同
西田和子
右原告ら訴訟代理人弁護士
赤松岳
同
池本誠司
同
鈴木幸子
被告
国
右代表者法務大臣
後藤田正晴
右訴訟代理人弁護士
山内喜明
右指定代理人
小柳稔
外五名
主文
一 被告は、原告西田チエに対し金一一九八万三八九一円を、同阿部寿子、同山田嘉子、同山内慶子、同山本幸子、同橋村洋子及び同西田和子の各人に対し金二一八万五四一〇円ずつを各支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その八を被告の、その一を原告西田チエの、その余を同原告を除いた原告らの各負担とする。
四 この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。ただし、被告が原告西田チエに対し金五五〇万円の担保を立てたときは同原告からの仮執行を、被告がその余の各原告らに対し各一〇〇万円ずつの担保を立てたときは当該原告からの仮執行を、それぞれ免れることができる。
事実及び理由
第一原告らの請求
被告は、原告西田チエに対し金一三八〇万一一〇〇円、その余の原告らに対し各金三〇〇万二五〇〇円ずつを、各支払え。
第二事案の概要
本件は、直腸癌の根治のためのマイルス術(直腸切断と人工肛門の造設術。以下「本件手術」という。)を受けた患者が、その手術の直後から意識障害や痙攣が生ずる状態となり、結局、本件手術の一三日後に尿毒症によって死亡したケースで、その患者の妻子が原告となり、手術を担当した医師の勤務先病院の開設者である国を被告として、手術担当医師に不適切な措置があったなどと主張して、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償を求めた事案である。
一争いのない事実
1 当事者
(一) 原告西田チエ(以下「原告チエ」という。)は、訴外亡西田修(明治四四年二月一四日生れ。以下「修」という。)の妻であり、原告阿部壽子、同山田嘉子、同山内慶子、同山本幸子、同橋村洋子及び同西田和子(以下「原告壽子ら」という。)の六名は、いずれも原告チエと修との間の子である。
(二) 被告は、埼玉県和光市諏訪二―一で国立埼玉病院(以下「埼玉病院」という。)を開設し、同病院の外科部長として、訴外三田盛一医師(以下「三田医師」という。)を雇用していた。
2 診療契約の締結
(一) 修は、昭和五七年五月一七日(以下、月日のみの場合は、すべて昭和五七年である。)に慶応義塾大学病院で診療を受けたが、その際、同病院から、直腸癌の疑いがあるので入院して摘出手術を受けるように指導された。
(二) そこで、修は、六月九日、埼玉病院で三田医師の診察を受けて、同日、被告との間で、直腸癌に関する診療契約を結び、その日から、埼玉病院に入院した。
3 本件手術と修の死亡
(一) 前記摘出手術は、三田医師が執刀医となって、直腸癌の根治術であるマイルス術によってされることとなり、埼玉病院では、七月五日に右摘出手術を実施して、患部の摘出には成功した。
(二) しかし、修は、本件手術後に意識が低下し、その後、意識が回復することのないまま、同月一八日、尿毒症により同病院で死亡した。
二中心的な争点
1 債務不履行ないし過失の有無
(一) 原告は、被告に債務不履行ないし過失があると主張し、次の二点を指摘した。
(1) 三田医師は、直腸後壁と仙骨前面の切離手術中に、修が出血性ショック状態に陥った最初の時点で、再度、出血性ショック状態を生じさせないように、手術の方法を、膀胱壁の筋層の一部削取による剥離術から、膀胱の合併切除術に切り換えるべきであった。
しかし、三田医師は、かかる切除術に切り換えずに手術を続行したことから、結局、大量出血が起こり、修を、再度、出血性ショック状態に陥らせて、死亡させるに至った。
(2) 修が手術中に二度も出血性ショック状態になったことからすると、三田医師は、本件手術後、修の麻酔が覚醒した後も、修に対して、さらに充分な程度の時間、気管内挿管による酸素投与や呼吸管理などを継続するべきであった。また、その後も、頻繁に動脈血ガス検査をしたり、手術室から病室への搬送については蘇生用バック一式を携行するなどして、術後の管理に万全をつくすべきであった。
ところが、三田医師は、修に対して、これらの措置を採ることなく、修を死亡させるに至った。
(二) これに対し、被告は、右過失ないし債務不履行の主張を否認して、次のように反論した。
(1) 本件手術中、二度にわたって大量出血があり、血圧低下もあったことは事実だが、修がそのことで出血性ショック状態に陥ったということはないし、大量出血で、修の脳、心臓、腎臓などの重要な臓器に障害を与えたこともない。
(2) 患部の切除方法を、仮に、原告らが主張する方法で行うときは、陰部静脈叢も一挙に除去できるため、同部分からの出血は少ないことは確かであるが、原告らが主張する方法で行った場合でも、他の部位からの出血は見込まなければならないので、二つの切除方法を比べて原告ら主張の方法の方が出血量が少なくて済むというのは疑問がある。
(3) また、原告ら主張の方法を採ると、膀胱や尿管等を除去しなければならないが、そのことは患者の全身に対する侵襲が極めて大きいことになるし、そもそも、障害の全くない臓器をも摘出することは、それが仮に一部であったにしても、出来るだけ避けるように措置するのが、医療に携わる者として当然のことである。
(4) 術後の管理について、三田医師らは、修の麻酔からの覚醒を早めるべく、手術当日の二〇時三〇分に笑気ガスの投与をやめていたので、二一時一五分の時点では、修の意識は覚醒し、修の呼吸器系や循環系も回復していた。三田医師らは、修が麻酔から覚醒し、さらに血圧及び脈拍の状態と、充分な自発呼吸がみられることを確認したうえで、二一時二七分に気管内チューブを抜いて、マスクによる酸素投与に切り換え、酸欠症を防止するため、二一時〇五分と同四〇分の二度にわたって、炭酸水素ナトリウムの投与も行っているから、術後の措置に何ら問題はない。原告は、気管内挿管を続けるべきであったとも主張するが、意識を回復した者に対して気管内挿管を続けると、患者に強い苦痛を与えるのみならず、喀痰による気管閉塞の危険もあることからして、本件でも、気管内挿管を続けることが好結果をもたらしたかどうかは判らないというべきである。
(5) 原告は、修について動脈血ガス分析を行うべきであったとも主張するが、本件手術当時で、また検査技師もいない二一時過ぎという時間帯で、そのような分析を行うことは、現実に不可能である。
しかし、蘇生用バックは、手術室から病室に搬送するストレッチャーに酸素ボンベとともに常備していたので、修を病室に搬送するについても携行していた。原告らの指摘するような事実はない。
2 損害について
(一) 原告らは、次のように主張した。
(1) 逸失利益 一〇九一万六六三三円
修は、旧制大学を卒業後に会社員として勤務し、定年退職後は西田産業株式会社を設立して、インテリア設計関係の業務に従事していた。昭和五七年度の賃金センサス(第一巻第一表産業計・企業規模計)によると旧大学卒の六五歳以上の男子労働者の平均年収は三五七万三六〇〇円であり、他方、修は妻を扶養していたので生活費控除を三〇パーセントとし、これに就労可能年数五年に対応する新ホフマン係数を乗じて、逸失利益を算出した。
(2) 慰謝料
修は、埼玉病院に入院するまで病気一つしたことがなく、健康で、仕事上も第一線の現役として活躍していたし、原告らをこよなく愛していた。また、埼玉病院に入院する際にも、三田医師からは、早期発見なので、手術は短時間で済み、必ず成功すると説明されていたが、手術後は、修の意識は何ら回復することがなく、原告らは断腸の思いでただ見守るしかなかったのである。修の死亡は、原告らにとって晴天の霹靂としか言い様がない。
よって、慰謝料額は、修について一五〇〇万円、原告らについて各二〇〇万円を下ることはない。
(3) 葬儀費用
原告らは、修の葬儀費用として九〇万円を支出した。
(4) 弁護士費用
原告らは、本件訴訟を提起するについて、訴訟代理人らに、着手金として二〇〇万円を支払い、勝訴したときは、報酬として三〇〇万円を支払うことを約束した。
(5) よって、原告チエは被告に対し、右損害(1)、(2)の各二分の一(ただし、原告らの慰謝料を除く。)と同(3)、(4)の各七分の一の合計額一三八〇万一一〇〇円(一〇〇円未満切捨て)を、また、原告壽子らは被告に対し、それぞれ、右損害(1)、(2)の各一二分の一(ただし、原告らの慰謝料を除く。)と同(3)、(4)の各七分の一の合計額三〇〇万二五〇〇円(一〇〇円未満切捨て)を、各支払うように求める。
(二) 被告は、原告の右主張のすべてについて争った。
三証拠<省略>
第三当裁判所の判断
一事実関係について
証拠〔<書証番号略>、証人三田盛一、同宮北誠、同橋村洋子、鑑定結果(関根毅医師)〕によると、以下の事実(一部、当事者間に争いがない事実を含む。)が認められる。
1 修の症状と手術経過
(一) 修の症状と手術開始までの診療経過
(1) 修は、外来初診時から、三田医師に、便意は頻回にあるが排便が困難であること、しばしば便に血が混じること、頻尿であることなどを訴え、同医師は、直腸診等による診察をして、直腸癌の疑いが非常に濃厚であると診断し、即日、埼玉病院に入院させた。
(2) 修は、入院後に術前の諸検査を受けた。すなわち、六月一〇日と同月二九日は埼玉病院の泌尿器科医による検査(二九日は膀胱鏡による検査)を、同月一一日には直腸の内視鏡検査と同検査に際して試験切除した組織に対する病理組織検査を受け、さらに同月一二日には注腸造影、同月一七日には超音波検査、同月二一日には腎盂造影、同月二四日は腹部血管造影などの諸検査を受けた。
(3) その結果、直腸癌は、肛門から下限約三〜四センチメートルから上限約八ないし一〇センチメートルまでの直腸部の全周にある腺癌であること、癌の壁厚は約1.8センチメートルまで肥厚し、直腸壁周囲も筋層を越えてさらに深く浸潤していることが認められ、他に、前立腺肥大や膀胱頸部硬化症があることが認められた。
しかし、膀胱内容は清澄で、腫瘍や浸潤様所見は認められないし、肝臓等の他臓器への明らかな転移はなかった。修の全身状態も、軽い貧血があったほかは、腎機能、肝機能などに特に異常はなく、他の手術の障害となるような異常も認められなかった。
(4) そこで、三田医師は、六月二五日ころ、修の直腸癌をこのままに放置すれば、寿命はあと一年程度であると考えて、マイルス術による本件手術を実施しようと判断し、手術日を七月五日に決定した。
(5) なお、同医師は、修が入院して間もないころに、原告らに対し、「直腸癌があって切除手術が必要だが、人工肛門をつければ一か月で社会復帰できる。」旨説明し、また、手術開始前にも「検査の結果特に異常はないので手術します。手術は夕方までかかるが心配しないで待ってて下さい。」などと説明した。
(二) 本件手術の経過
(1) 修に対する本件手術の術式は、修の直腸癌が肛門から比較的近いところにあること、直腸癌の影響が周辺部にまで及んでいる可能性が強いことなどから、リンパ節の廓清を採り入れ、直腸と肛門を除去して人工肛門を造設するいわゆるマイルス術が採用されることとなり、執刀医三田医師、助手中村明彦外科医師、麻酔医宮北誠外科医師らによって、七月五日一四時四三分から開始された。
(2) 手術に伴う麻酔方法は、導入部に静脈麻酔が、その後は、酸素、笑気ガス及びハローセンの混合ガスの気管内挿管による全身麻酔のほかに、腹筋を弛緩させ血圧を下げて術中の出血量を少なくするために腰椎麻酔を併用する方法(いわゆる腰全合併麻酔)が用いられた。
(3) 三田医師は、肛門輪を縫合閉鎖した後、修の中腹部、下腹部を正中切開して腹腔内を見たが、腹腔内に腹水はなく、癌性腹膜炎や、腹膜への明らかな浸潤もなかった。また、肉眼的所見では、肝臓への転移はみられず、盲腸からS状結腸までの大腸にも異常所見はなかった。
しかし、直腸癌はほぼ手拳大(約八×八センチメートル)で、ダグラス窩腹膜翻転部にあって、ダグラス窩を含めた骨盤底部を占拠し、周囲への浸潤のため直腸は可動性がさほどなく、腫瘍は膀胱の後壁を圧排していて、膀胱壁への浸潤も想定された。また、腫瘍の表面と腫瘍が接する腹膜は、いずれも腫瘍によるものと思われる肥厚や血管の怒張等炎症性変化が強くみられ、腹部大動脈周囲のリンパ節と結腸間膜のリンパ節にも腫脹が認められた。
(4) 右開腹時の所見は、腫瘍周辺部の病変が予想以上であったものの、ほぼ術前所見どおりであったことから、三田医師は、当初の方針どおりマイルス術を施行することとした。
そしてS状結腸及びS状結腸間膜を後腹膜から切り離し、次いで、正中部の後腹膜を切開して腹部大動脈を露出させ、腹部大動脈から分岐している下腸間膜動脈と同静脈の根部を結紮、切離した後に、人工肛門造設に必要な長さを残してS状結腸を切断した。その際、下腸間膜動脈の根部を上限としてリンパ節の廓清(除去)を行った後に、更に廓清操作を下方に進め、総腸骨動脈及び外腸骨動脈の各周辺部のリンパ節を脂肪組織とともに廓清した。
右S状結腸を切断するまでに、本件手術を開始してから約二時間を要したが、この間に著しい出血はなかった。
(5) 一七時ころより、切断した肛門側のS状結腸を完全に遊離させるために、右肛門側S状結腸を恥骨方向に牽引しながら直腸後壁を仙骨前面から切り離す手術に入った。一般に、マイルス術では、直腸後壁と仙骨との間の腹膜の臓側内臓筋膜と壁側内臓筋膜との間を切り離すことが多く、出血もさほどに多くないのが通例だが、修については、骨盤腔が狭かったこと、直腸の腫瘍が大きく、腫瘍の周辺組織への影響や隣接腹膜との癒着程度などが術前及び開腹時の予見以上のものであって、腸管の移動が充分でなく、そのため充分な視野もとれなかったことから、その部位で切り離すことは困難であった。そこで切り離す部位を、より仙骨に近い壁側内臓筋膜の外壁とし、しかも、直腸後壁の切離しを一挙にすることができないことから、直腸後壁の切離しと直腸の左右の壁側の切離しの操作を、交互に進めていく手術手順を採ることとした。
このような手術操作を選ぶことは、当然、修の壁側内臓筋膜と仙骨との間にある仙骨前面の静脈叢を傷つけることになるし、手術に相当の時間を要することにもなるが、三田医師は、輸血等で充分に対処できると判断し、癌の浸潤ないし炎症部位を切り離すべく、かかる選択をしたのである。
(6) 直腸側壁の切離しは、まず、総腸骨動脈に沿って内、外腸骨動脈分岐部に至り、次いで、内腸骨動脈に沿って肛門側に向かって行われた。
この切離しをする際には、大量の出血があり、一七時一〇分ころからは、血圧の著しい低下も招いたが、出血と止血、そして輸血を繰り返しながら手術操作が進められ、直腸側壁の切離しが側方靱帯に達した段階で、側方靱帯の真中を走っている中直腸動脈を二重に結紮したうえで切断する措置が採られた。
(7) そして、直腸後壁の仙骨前面からの切離し及び左右壁側の切離し等が、骨盤底の肛門挙筋のところまで達した後に、次いで、直腸前壁の切離しに入ったが、修の場合には腫瘍が大きく、しかも、膀胱後壁に癒着して、膀胱壁の筋層面への浸潤が肉眼的にも認められた状態であったことから、切離線を通常よりも膀胱壁に寄った側に採らざるを得ず、加えて、右浸潤された「膀胱壁の筋肉層の一部をかじる(削る)という感じ」(三田医師の供述)で切離しが行われた。
(8) 右切離しが行われている一八時五〇分ころから、再度、大量出血があり、修の血圧も大幅に低下した。
そこで、三田医師らは、手術操作を一時中断して、止血に専念し、輸血も点滴から急速輸血に切り替え、昇圧剤の投与などの措置を採ることによって、一九時三〇分ころより最高血圧が八〇ないし一〇〇mgHg(以下、単位は省略する。)前後に回復し、その後も右数値を維持するようになったので、手術はさらに続行された。
(9) 続行後は、直腸前壁を切り離すについて、まず、前立腺と精のうにも腫瘍によるものとみられる炎症性変化や癒着がみられたことから、これらの部分を切除し、直腸を膀胱後壁から切り離した。次いで、会陰部における手術操作に移って、肛門輪から二〜三センチメートル外側を輪状に切開し、肛門挙筋をその起始部で切り離し、その部分を直腸後壁等との切り離した部分と連結して、直腸を遊離させ、これを会陰創の外へ引き出した。
この手術の過程では、特段大きな出血箇所はなく、空洞となった骨盤底部を精査し、必要に応じ再度止血操作を行った。
(10) その後、剥離腔にドレーンを挿入したうえ、会陰部の切開創を縫合閉鎖し、次いで、腹腔側の手術操作に再び移って、腹腔内の洗浄、止血を行ってから、後腹膜の切離端を縫合して新しい骨盤底を造り、S状結腸腹腔側腸管を腹膜外経由で左下腹部壁に出して、そこに人工肛門を造設し、閉腹した。
(11) 本件手術の終了時刻は、手術開始から約六時間三〇分を経過した二一時一五分ころである。
(三) 手術中の出血、排尿等
(1) 本件手術中における修の総出血量(ただし、滲出液をも含んだ量である。)は約四二四〇ccであるが、麻酔記録に基づいて時間の経過との関係を示すと、次のとおりである(なお、出血量については、出血をガーゼで吸引して計る測定方法が採られたことなどから、残留、貯留分も考えられ、当該時間帯内の出血のみとは限らないところがあり、また、本件手術による総出血量約四二四〇ccは手術終了後にチェックを行った後の数値であり、本件手術中に記載された麻酔記録部分には四四四ccの計量漏れが存在する。)。
① 手術開始時から一七時ころまでの通算総出血量四八五cc
② 一七時ころから三〇分間で約四七一cc(通算総出血量九五六cc)
③ 一七時三〇分ころから三〇分間で約二五五cc(同一二一一cc)
④ 一八時ころから三〇分間約一二六cc(同一三三七cc)
⑤ 一八時五〇分ころから四〇分間で約二九四cc(同一六三一cc)
⑥ 一九時三〇分ころから三〇分間で約一三九cc(同一七七〇cc)
⑦ 二〇時ころから三〇分間で約八三〇cc(同二六〇〇cc)
⑧ 二〇時三〇分ころから三〇分間で約六〇八cc(同三二〇八cc)
⑨ 二一時ころから一五分間で約五八八cc(同三七九六cc)
なお、二〇時台以降の出血量は、手術操作において新たに大きな出血箇所が生じたものでなく、それ以前の出血で測定できなかった分及び洗浄水が含まれて計上されている可能性がある。
(2) 三田医師らは、修のこのような出血に対して、手術前から、輸血用血液として保存血二〇〇〇cc、凍結血漿一五パックを予め準備し、出血に対しては、当初、出血点が明らかなものについては電気凝固止血又は結紮止血を行い、出血点が明らかでないものについては圧迫止血を施すなどして、あわせて、一七時三分にはエホチール(昇圧剤)の投与を、一七時七分ころからは輸血を行うなどの措置を採った。
しかし、一七時一〇分になって、修の血圧が、最高血圧が約六〇まで降下し、その後一七時三〇分ころまで最高血圧の測定不能状態(血圧自働測定装置を六〇にセットしていたため、六〇未満の数値は、同装置によっては測定不能となる。)が続く状態となったことから、三田医師らは、輸血を点滴から急速輸血に切り替え、さらに、麻酔混合ガス中のフローセンが呼吸系や循環系に対する抑制効果の強いものであることを考慮して、一七時五五分以降はその混合を中止するなどの措置を採った。その結果、修の血圧は一七時四〇分ころには最高血圧七〇程度に、一八時二〇分ころには最高血圧が一〇〇前後までに一旦回復し、輸血の方法も、その時点で、一旦、点滴による方法に戻された。
(3) しかるに、一八時五〇分ころになって、再度、修の陰部静脈叢を中心とした部位から湧出性の大量の出血があり、修の血圧は一八時五〇分ころから一九時三〇分ころまでの約四〇分間、最高血圧が六〇に達せず、血圧自働測定装置では測定ができない状態が続くようになった(その間の水銀血圧計による測定では、最高血圧が五五前後を示したことがあった。)。そこで、三田医師らは、一旦、手術操作を中断し、前同様の方法による止血に専念し、輸血も、再度、点滴から急速輸血によるなどしたが、予め準備していた二〇〇〇ccの輸血用血液も残りが少なくなり、一九時ころには血液を急遽取り寄せ、一九時一〇分ころには、輸血用血液について適合性検査(クロスマッチ)を行う余裕もないまま、その後も輸血を続けざるを得なくなるほどの緊急事態になって、結局、本件手術中に、保存血一六本(計三二〇〇cc)、赤血球濃厚液二パック(計二六〇cc)及び新鮮凍結血漿五パック(計四〇〇cc)の総量三八六〇ccの輸血がなされた。
(4) また、三田医師らは、修に対して、一五時五六分にラシックス(利尿剤)を一アンプル、一六時三三分にも同一アンプルを、またさらに、二〇時四分に同一アンプル、同四〇分に同二アンプル、同五四分に同三アンプルを各投与している。しかし、修の尿量は、腎機能の低下によって、一六時三〇分ころから一七時三〇分ころまでの約一時間に約一〇ccの乏尿、その後一八時二〇分ころまでの間は無尿、その後二〇時ころまでの間は約二〇ccの乏尿、さらにその後手術終了までの間は無尿という状態であった。
2 本件手術終了直後の経過
(一) 気管内チューブの取り外し
(1) フローセンは本件手術中の一七時五五分に、笑気ガスも二〇時三〇分に中止されているところ、三田医師らは、本件手術が終了した直後に、修に気管内チューブによる酸素吸入と各種補液の点滴を継続させた状態で、瞳孔の反応、呼び掛けに対する反応及び命じた動作の状態などを調べて、修が麻酔から覚醒しているかどうかを確認しているが、その時点では、一応、麻酔から覚醒した状態にあるものの、未だクリアーな状態までは覚醒しない状態であると判断された。
(2) そこで、三田医師らは、修の血圧及び脈拍の状態を確認し、また、自発呼吸があることを確認したうえで、二一時二七分に気管内チューブを抜いて、挿管酸素投与からマスクによる酸素投与に切り換え(なお、エアー・ウェイ挿入により気道は一応確保していた。)、再度、自発呼吸があることと、血圧の状態とを確認した後に、修を手術台からストレッチャーに移し替え、骨盤腔ドレーンと膀胱からのバルーンカテーテルを接続し直すなどして、二一時五〇分ころ、看護婦二人が付き添って、手術室から病室に向かった。
(二) 修の呼吸停止
(1) ところが、手術室から手術棟の廊下に出た直後の二一時五二分、ストレッチャーを押していた看護婦が、修の呼吸が停止したままであることに気づき、直ちに手術室へ戻った。その時点で、修の脈は触知することができず、四肢冷感、全身強度のチアノーゼ状態であった。
(2) 同五四分、ストレッチャーに乗せたまま気管内チューブを再挿管し、修の気道を確保して、酸素吸入を再開するとともに、心電図モニターを装着して、心臓マッサージを施した。
(3) 修は、その後、二二時一三分に、心室細動(心室は作動しているが、心臓のポンプ機能がない状態をいう。)があり、電気ショックを加えて、同五〇分ころに、自発呼吸が再開され、その後は、自発呼吸が明瞭となり、血圧も安定したため、二三時一二分、手術室から病室に帰室した。
なお、被告は修の心停止を争っているが、呼吸停止後に心停止が起こる蓋然性が極めて高いこと、後記のとおり三田医師が手術後原告らに対して心停止した旨説明していることや退院病歴カード、死亡診断書といった書類に「心停止」の記載があることなどを総合すれば修は呼吸停止から心停止に陥っていたものと推認される。
(三) 三田医師の説明
本件手術の終了後、三田医師は原告らに対し、「手術はうまくいった。肝臓に転移もなかった。手術は九時半ころ終り、西田さんは呼びかけると返事をしていたが、手術室から廊下へ出る時に心臓が止まっているのに気づいて引き返し、マッサージをした。何分位、心停止していたかわからないが、脳がレベルダウンするかも知れない。心停止の原因は出血量が多かったためであろう。」という趣旨の説明をした。
3 帰室後の経過
修は本件手術の後、意識不明となり、その後も意識はほとんど回復しないまま七月一八日に死亡した。すなわち、
(一) 修の、帰室後の血圧、脈拍及び呼吸はいずれも安定していたが、意識状態は、手術前と比べて相当に落ち、周囲の呼びかけに対してやっと開眼する程度であった。
(二) 修に対しては、帰室直後から利尿剤が投与されたが、尿量は増加せず、ドレーンからの排液量が増加する傾向にあった。また、七月六日、同七日に行われた生化学検査では、修の尿素窒素値や血清クレアチン値が高いことも認められた。
三田医師は、膀胱瘻の疑いを持ち、同月七日に膀胱に色素剤を注入したところ、色素剤が骨盤腔内に挿入していたドレーンからの排液に混入して出てきたことから、膀胱に穴が開いていて蓄尿量が少ないので、右ドレーンからの排液量と蓄尿量とを併せると、尿量に特別問題はないものと判断し、また、尿素窒素値、血清クレアチン値が高いことについても、尿量に問題がないと考えていたことから、一過性のものと判断していたが、原告らに対しては、尿毒症の危険性もある旨説明した。
(三) 七月六日夕刻になると、修は、呼びかけにも反応しなくなり、痛みに対して反応する程度となった。また、喀痰量が増加し、自力排出が困難となってきたため、痰を排出するために気管切開も行った。
(四) 七月八日には、修の体動が激しく、痙攣発作を起こすようになったため、脳外科医の診断を受けたが、その診断結果は、痛覚に対する逃避反応が活発であり、次第に自動運動の回復が期待できる程度の障害である旨の内容であった。
(五) 七月一一日になると、尿量が、ドレーンからの排液量を合わせても、なお急激に減少し、尿素窒素値と血清クレアチン値が急増した。
(六) 修の尿に関する生化学検査の結果は次のとおりである。
尿総量 尿素窒素値
(ml) (mg/dl)
クレアチン値 血清カリウム値
(mg/dl) (mEq/I)
七月一日 9.9
1.28 4.47
七月四日 二〇五〇
七月六日 二二〇 14.8
2.35 2.73
七月七日 二七五〇 31.8
4.91 3.93
七月八日 四六〇
七月九日 二〇 63.1
7.11 3.36
七月一〇日 極少(なお、同日以降、尿量はほとんどみられない。)
七月一二日 115.8
9.29 4.05
七月一五日 130.7
11.10 5.01
(七) 三田医師は、修が尿毒症に罹患したと判断し、七月一四日から腹膜灌流(腹膜透析措置)を開始し、修の尿素窒素値と血清クレアチン値は、七月一六日になってそれぞれ110.8と9.90まで多少改善をみたが、七月一六日に腹膜灌流の第二クールを開始したところ、修がひどい呼吸困難を引き起こしたために、直ちに中止された。
なお、埼玉病院には、当時、人工透析の設備がなく、また、そのような設備がある病院に転院するのには、修の全身状態が充分でなかった。
(八) 七月一七日になると、修は、全身浮腫が著明で、呼吸困難となり、意識はまったくと言ってよいほどに無くなった。そのような状態が一進一退のまま推移し、翌一八日の一八時五八分、尿毒症のため死亡するに至った。
二債務不履行等の有無について
1 本件手術中における修の出血性ショックについて
(一) 鑑定人関根毅医師の鑑定結果によれば、外科的手術に関係する出血性ショックにおいては、その重症度と出血量の間に一定の相関関係が存在し、通常、循環血液量の一五パーセント(五〇〇ml)までの出血では臨床的症状は出現しないが、二〇パーセント(一〇〇〇ml)の出血では軽度ショック状態を呈し、三〇パーセント(一五〇〇ml)の出血では中程度ショック状態を、三五ないし四〇パーセント(二〇〇〇ml)の出血では重度のショック状態に陥ると指摘されているところであるが、本件においては、一七時一〇分ころから一七時三〇分ころまでの間に血圧が六〇前後に低下した時期と直腸後壁と仙骨前面の剥離に際して正中仙骨静脈叢からの出血があった時期とがほぼ一致していること、その間の総出血量は四八五mlから九五六ml(約三〇分間に四七一ml)に達していること、一八時五〇分ころから一九時三〇分ころまでの間にも血圧が六〇未満にまで低下した状態が続き、その時間帯には直腸前壁と膀胱後壁の剥離による陰部静脈叢からの出血が持続していたこと、その間の総出血量は一三三七mlから一六三一ml(約四〇分間に二九四ml)に達していること(なお、尿についても一七時三〇分ころから一八時二〇分ころまでと一九時五〇分以降に無尿状態に陥っている。)など、本件手術中の状況は前判示したとおりであって、これらの事実を総合すると、修は、最初に血圧が大幅に低下したころには、軽症ないし中等度の出血性ショック状態が、二度目に血圧が大幅に下がったころには、重症の出血性ショック状態に陥ったものと認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) ところで、このようなショック状態に陥った場合には、重要臓器である心臓、腎臓、肝臓、肺、脳に障害を来たし、あるいは血液凝固に異常をきたすことが知られているが、臨床的には、急性腎不全ないし急性呼吸不全のおそれが高まることが認められることは、右鑑定結果からも明らなとおりである。
しかし、本件では、三田医師は、修に術中に出血性ショック状態が生じたことに対して、直ちに輸血を行い、昇圧剤を投与するなどしているのであるし、前判示のとおりにその後に血圧も回復していることからすれば、修が出血性ショック状態に陥り、そのことが修の重要臓器に重篤な障害をもたらす可能性があったとは言えるにしても、そのことが修に不可逆性の変化をもたらしたと言えるかどうかについては、なお問題が残ると言うべきである。右鑑定結果でも、本件手術中の出血性ショックは一過性、可逆性のものに止まった可能性が高いことが指摘されているし、他に、右鑑定結果を採ることができないとする事実関係も見当たらない。
(三) 結局、修が、本件手術中に重症の出血性ショック状態に陥ったことは認められるが、そのことで、修の重要臓器に不可逆的な代謝障害を生じさせたとまでは認めることができない。
2 切除方法の選択について
(一) 本件手術では、その手術中に、修に大量出血があり、大幅な血圧低下を招く事態が生じてはいるが、その後、輸血や昇圧剤が投与されて、修の最高血圧が一〇〇前後に回復していること、出血性ショックが見られるにしてもそれが一過性のものである可能性が高いこと、その他、手術続行が困難であることを窺わせるような事実関係も見当たらないことなどからすると、三田医師が、その時点で手術を続行すると判断したからといって、それが医師の裁量権の範囲を逸脱しているとまで言うことはできず、被告ないし三田医師に債務不履行ないし過失があったとすることはできない。
(二) 原告らは、手術を続行するとしても、本件では、膀胱、精嚢、前立腺の合併切除に切り換えて、そのことで多量の出血を防ぐべきであったと主張している。
しかし、いかなる切除方法を選択するかという問題は、担当医師の高度に専門的な、総合的な判断であって、その意味で、担当医師の裁量に任されるべき部分も大きいし、のみならず、証人三田証言や前記鑑定結果によれば、合併切除術は、膀胱が小さくなることなどによって、その後の生活に支障が残るという問題点があることが認められること、健康な臓器の切除はできるだけ避けるようにする必要もあることなどの事情が認められることや、修について、再度、大量の出血があり、血圧も大幅に低下したときにも、その後の輸血や昇圧剤の投与などによって、血圧も八〇ないし一〇〇前後までに回復し、その数値を維持し得たことについては前判示のとおりであるから、そうであれば、三田医師が、出血に対しては輸血などで充分に対応することができると判断し、右合併切除を選択しなかったからといっても、そのことに債務不履行があるとか、医師の裁量の範囲を逸脱した過失があるとかすることはできないと解される。
他に、右債務不履行や過失を認めるに足りる事情は見当たらない。
3 術後管理上の債務不履行等について
(一) 術後の呼吸停止の原因
前判示の事実及び前記の各証拠によると、修は、術後、手術室から病室への搬送途中で、急性の呼吸不全を起こしたものと認められる。
一般に術後の急性呼吸不全の発症誘因としては、麻酔法(麻酔薬、麻酔法、麻酔時間、体位、輸液・輸血量)、手術(原疾患、一肺疾患、出血量、疼痛)などが挙げられるが、本件では、呼吸不全が本件手術の直後に起こっていること、本件手術が六時間二〇分もの長時間に及んでいて、修への手術侵襲の程度も大きかったこと、手術中に出血性ショックによる血圧低下(六〇以下)が二度も見られたこと、修が本件手術当時七一歳の高齢であったことなどの事実からすると、修の右急性呼吸不全の原因は、手術中に出血性ショック状態に陥ったことが主因であって、これに、抜管後の覚醒不充分な状態が加わって発症したものと推認することができる。
(二) 債務不履行等の有無
このように、術後の修は、血圧などが一応安定し、自発呼吸もしていたとはいうものの、完全に覚醒したわけではなく、呼吸、循環機能は未だ不安定な状態にあったわけであるから、三田医師としては、手術終了後も、修の呼吸や、循環動態が安定したことが充分確認できるまで、修を手術室や回復室に置いて、動脈血ガス分析を頻繁に行うとか、あるいは、気管内挿管を継続したままレスピレーターによる人工呼吸を継続するなどの措置を採りながら、呼吸、循環機能の回復を待つべきであったと認めるのが相当である。
しかるに、三田医師は、本件手術後、修に、エアー・ウェイを挿入しただけで、これらの措置を採ることをせず、(エアー・ウェイだけでは不充分である。)、その結果、修は、手術室から病室への搬送中に呼吸停止に陥った。前記各証拠によれば、埼玉病院には回復室はなく、本件手術終了時刻当時には、動脈血ガス分析を行う検査技師がいなかったことも認められるが、他方、三田医師が気管内挿管を継続することが困難であったとの事情は見当たらないし、術後、修の意識回復はなお不充分なものがあったことも前判示したとおりであるから、同医師が修に対して気管内挿管を継続することに何の問題もなかったし、また、修に対して気管内挿管を継続していれば、修にかかる急性呼吸不全は起こらなかったと推認することができる。
結局、三田医師が、修の気管内チューブを抜管し、酸素マスクによる酸素投与に切り替えた時点で、修の呼吸、循環機能の回復状態についての注意が充分にされないままであったという他はなく、この点で、被告に債務不履行ないしその使用人である三田医師に過失が認められる。
三因果関係
1 本件で、修の尿量、血液尿素窒素値、血清クレアチン値、血清カリウム値の変動経過は前判示のとおりであるが、このような経緯に加え、前記<書証番号略>、証人三田証言などを総合して判断すると、修は、本件手術後の七月八日にはすでに腎性急性腎不全に罹患しており、その後、尿毒症に陥って、同月一八日に死亡したことが認められる。
埼玉病院には、人工透析の設備がなく、修の身体の状態からして転院できる状態でもなかったこと、三田医師が急性腎不全に対する手当てとして、七月一四日から腹膜灌流(腹膜透析措置)を行い、同月一六日に腹膜灌流の第二クールを行ったこと、第二クールに入った時点で、修にひどい呼吸困難があったために、腹膜灌流が中止されたことは前判示のとおりであるが、このような手当ては、結局、効を奏さなかったわけである。
2 前判示のとおり、修は、本件手術による侵襲の程度が大く、手術中にすでに乏尿ないし無尿の状態になっていたうえで、手術直後に、さらに呼吸停止、心停止が生じたのであるが、前記鑑定結果によると、急性腎不全の原因としては、血圧低下による腎血流量(特に糸球体濾過値)の減少と、尿細管壊死による腎機能の低下が挙げられるところ、右の呼吸停止、心停止は、まさに腎血流量の減少と尿細管壊死とにつながる可能性の強いものと認める他はなく、修は、このことによって急性腎不全を発症させて、不可逆性の腎不全に移行し、全身状態の悪化ともあいまって尿毒症で死亡するに至ったものと認めるのが相当であり、他に右認定を左右するに足りる事情はない。
3 したがって、被告の前記債務不履行ないし不法行為と修の死亡との間には、相当因果関係を認めることができ、被告は原告らの後記損害を賠償すべきである。
四損害について
1 逸失利益 九二八万二〇六八円
修が死亡当時七一歳の老人であったことは前判示のとおりである。証拠(<書証番号略>、証人三田盛一、同橋村洋子)及び弁論の全趣旨によれば、修が旧制大学を卒業したこと、勤務先を定年退職後は西田産業株式会社を設立してインテリア設計関係の業務に就いていたこと、修が妻を扶養していたことが認められ、右認定に反する証拠はないところ、同人が死亡した昭和五七年度簡易生命表によれば、七一歳の男性の平均余命は11.10であること、昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計旧大卒の六五歳以上の男子労働者の年平均賃金など諸般の事情を総合考慮すれば、修は、少なくとも、今後五年間、年三五七万三六〇〇円の収入を得ることができたと認めるのが相当である。その間の生活費として四〇パーセントを、中間利息をライプニッツ方式によりそれぞれ控除すると、その逸失利益は次のとおり九二八万二〇六八円となる。
3,573,600×(1―0.4)×4.329
=9,282,068
2 慰謝料
証拠(<書証番号略>、証人橋村洋子)及び弁論の全趣旨によれば、本件手術により修が死亡したことによって、同人及び原告らが多大な精神的損害を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はないから、右事実及び本件において認められる修の年齢その他諸般の事情に照らし、修及び原告らが修の死亡によって被った精神的損害に対する慰謝料は、修において一三〇〇万円、原告チエにおいて八〇万円、原告壽子らにおいて各二〇万円と認めるのが相当である。
3 葬儀費用 九〇万円
証拠(証人橋村洋子)及び弁論の全趣旨によれば、原告らが修の葬儀を行い、右葬儀費用として原告ら主張の九〇万円を超えて支出したであろうことは充分に推測でき、右認定に反する証拠はないから、九〇万円を損害と認めるのが相当である。
4 弁護士費用
原告らが本件訴訟の提起、追行を弁護士たる本件訴訟代理人に委任したことは明らかであるところ、本件において原告ら各人が請求している弁護士費用額〔なお、原告らの請求する弁護士費用額は一人当たり七一万四二八六円である。〕、審理の経過、事案の性質、認容額等を総合すれば、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用は原告チエにおいて七一万四二八六円、原告壽子らにおいて各自二〇万円が相当である。
5 原告らの損害
(一) 原告らは修の妻子であり、他に修の相続人はいないから、原告らは修の被告に対する右損害賠償請求権を法定相続分に応じて、原告チエが二分の一の一一一四万一〇三四円、原告壽子らが各一二分の一の一八五万六八三九円ずつを相続した。
(二) 原告らはその損害の一部として原告らの慰謝料を除いたその余の葬儀費用九〇万円及び弁護士費用五〇〇万円を請求しているところ、原告らの損害は、前記のとおり葬儀費用九〇万円の各七分の一の一二万八五七一円(なお、一円未満切捨)、弁護士費用として原告チエが七一万四二八六円、原告壽子らが各自二〇万円である。
(三) よって、原告らは、被告に対し、原告チエにおいて一一九八万三八九一円、原告壽子らにおいて各自二一八万五四一〇円の損害賠償請求権をそれぞれ有するものと認められる。
五結論
以上によれば、原告らの債務不履行ないし不法行為(いずれにしても損害額に差異を生じない。)に基づく本件請求は、原告チエにおいて金一一九八万三八九一円を、その余の原告らにおいて各金二一八万五四一〇円を、それぞれ求める限度で理由があるから、右の限度でこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法八九条、九二条、九三条を、主文第一項につき仮執行宣言を付すについて同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山﨑健二 裁判官上原裕之 裁判官桑原伸郎)